こんにちは。司法書士法人UNIBESTの岩白です。
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が最終回を迎えました。
歴史好きの私は毎週楽しく見ておりましたので、少し寂しく思っています。
明智光秀はなぜあっさり敗れたのか?
本能寺の変の後、なぜ誰も光秀に味方しなかったのでしょうか?
個人的には、本能寺の変が民意に反していたからではないかと思っています。
作中で光秀は、このまま信長政権ができても民を苦しめるものになると考え、謀反を起こしました。
しかし、長引く戦乱の世に飽いていた民意は、理想の国家よりも、まずは戦乱のない世を求めたのではないでしょうか。
戦国時代における民意のありかは?
民意は民衆の総意であり、「時代の意思」とも言い換えられるでしょう。
ただし、人間の欲求を分析したマズローの5段階欲求に当てはめて考えると、民意はより根源的で短期的視点に立つ傾向になると考えられます。
戦乱の世を終わらせることは、二段目の「安全欲求」を満たします。
一方の理想の国家を築くことは、三段目の「社会的欲求」を満たします。
つまり、民意として優先度が高いのは前者です。
理想の国家を築くことは言うまでもなく重要です。
戦乱がなくなっても、次の世代を苦しめる国家が誕生しては元も子もない。
場合によっては今より悲惨かもしれない。
しかし、長引く戦乱で切羽詰まった民衆の総意は、それよりもまず、現在の身の安全を選んだのではないでしょうか。
光秀の経験をコロナ禍にあてはめて…
人命と経済、どちらを優先するのか?という議論を目にします。
民意は人命にあると思われるので、政策としては、経済的ダメージを顧みずコロナ封じ込めを徹底した方が支持されるのではないでしょうか。
しかし、本当にそれでいいのか?現在の政府はどっちつかずなどと批判されていますが、本来もっとも理想的である「バランスをとる」という方針自体は、私個人としては支持できると考えています(方針以外の点で諸々問題点はあるでしょうが…)。
未来がどうなるかなんてわかりません。
その中で、リーダーは信念をもって、場合によっては大切なものをかけて、最適と信じる方針を示さなければなりません。
作中の光秀が、信長政権がどのようなものになるかわからないまま、信念をもって、命をかけて、本能寺の変に挑んだように。