司法書士法人UNIBEST
久保田純史
あの日、私は茨城県の北浦にかかる鹿行大橋にいました。
湖を横断する、古くなった橋の架け替えのため、橋の50メートルほど横に並行して設置された仮設足場で、測量士として、新設する橋設置のための測量作業をしていました。
地震発生時、仮設足場は立っていることができないほど大きく揺れましたが、足場よりも大きな被害を受けたのは、すぐ横に見える、車が行き交う古い橋のほうでした。
橋は、揺れに耐えることができず、湖の真ん中、60メートルほどが、運悪くその場を通行中だった車1台もろとも、湖の中へ崩落していきました。
湖に落ちた車には、男性ひとりが乗っていましたが、水の圧力でドアを開けることはできず、逃げ出すことができません。
私は、男性を閉じ込めたまま、ゆっくりと、ゆっくりと、水の中へ沈んでいく車を、50メートル離れた湖の上で、なすすべもなく、見つめていました。
何日もたったあとで、男性の遺体が引き上げられたことを、テレビのニュースが伝えていました。
今朝、震災10年のニュースを見て、改めてあの光景を思い出しました。
震災後の社会の混乱と、その中で自分が目撃してしまった出来事によるトラウマも、まざまざと蘇ってきました。
あの日を境に、私の中では間違いなく何かが変わりました。
日本に暮らす多くの人たちが感じたのと同様に。
災害、復興、防災、絆、、、それ以前には耳にすることが少なかった沢山の言葉を日常的に聞くようになりました。
それまで信じていた社会の在り方は確かなものではなく、ある出来事によって、一瞬にして一変するものだということを、実感として感じるようになりました。
10年が経ち、今、世界はコロナ禍の真っ只中です。
私自身の感覚としては、自分の信じる世界のかたちは不安定なもので、何かをきっかけにして変わっていくものだということに気づいた、あの経験をもとにして、今起きている社会の変化を素直に受け止めて、受け入れることができているような気がします。
「風化」という言葉を言葉を聞きます。
震災の事実についての記憶は、確かに年々薄れているかもしれません。
しかし、10年前の出来事を経験した私たちの中には、間違いなく「何か」が残っていると信じています。