こんにちは。司法書士法人UNIBESTの岩白です。
先日、ドキュメンタリー映画「三島由紀夫VS東大全共闘」を観ました。
実は私は70年代の革命運動に何となく興味をひかれています(暴力はいけませんが。)。
あれほどの熱量で、人生を、命をかけて、彼らは何と戦っていたのか?
それほど遠くない時代に、この国があれほどの熱に包まれていたことは、私の世代には想像しにくいことだと思います。
今回よくわかりました。
三島も全共闘も、立場は違えど、同じく「情けないこの国」と戦っていたのだと。
時は第二次安保闘争。
日本を属国とするかのような安保条約延長に対し、三島も全共闘も、主権をもった独立国家としての日本が失われることを憂えた志士たちだったのです。
「志士」といえば幕末にも同じような構図がありました。
右派の三島は保守の尊攘派、左派の全共闘は開国主義の改革派、といったところでしょうか。
と、思いきや、山岡荘八「徳川慶喜」によると、尊攘を掲げる水戸学の祖・徳川斉昭は、実は開国派だったとか。
安易に国を開いては、清国のように列強にやられてしまう。
外圧に屈しない強い日本を尊攘思想のもとに作り出し、そのうえで国を開き、国際社会でナメられない国家を作るべき。
山岡に言わせれば、尊攘こそ改革、幕府の安易な開国こそ保守だったのです。
まったく目からうろこです。
さて、現代日本では、尊攘運動や学生運動のような熱量が広がりうるのでしょうか。
私自身、そのような熱を自身に宿すイメージが湧きません。
ヒントとなる体験が1つ。
今回、三島の映画を観た後、私はもう一本、前から観たかった映画を観る予定でした。
しかし、一本目の三島の映画に感激して、色々と第二次安保闘争のことを調べ、考えてみたくなった。
でもそうすると、もう一本の映画が観られなくなる。
逆にもう一本映画を観ると、いま感じている熱量そのままに70年代に思いを馳せることはできなくなる…うーむ。
結果、私はもう一本の映画を観たわけですが(笑)、現代にはエンタメやSNSはじめ、人の気を散らせるものが非常に多い。
そのせいで、ものごとを深く考える時間が圧倒的に短くなっている気がしてなりません。ただ、それは、この国が平和であることの証か。
いやいや、それは平和ボケか…