こんにちは。司法書士法人UNIBESTの岩白です。
テレビ東京の深夜枠「晩酌の流儀」というドラマが好きです。
栗山千明さん演じる一人暮らしの女性が、1日の終わりに飲むお酒をいかにおいしくするかを追求するのですが、買い物や料理、お酒の飲み方はもちろんのこと、晩酌時間に至るまでの行動にもこだわっていきます。
テレ東のお家芸となった、一人の楽しみを深堀りしていくタイプのドラマですが、私の知る限りでも、「孤独のグルメ」から始まり、「ひとりキャンプで食って寝る」「サ道」「先生のお取り寄せ」「ソロ活女子のススメ」「量産型リコ」など、毎クール新しいものが出ており、シリーズ化されるほどの人気を博しています。
かつて、情報がマスメディアに偏っていたころ、提案される充実の形は、「リア充」という言葉から誰もがイメージするような、画一的なものでした。
ところが、この「リア充」という言葉は、その対面に「非リア充」という存在を前提としており、このころから少しずつ、冒頭のドラマで描かれるような、いわばマニアックな、人と人の関係よりも個人の内面世界にフォーカスすることで出てくる面白み、旨味に興味がそそられるようになっていったと感じています。
その後、現在に至るまで、ネットでは様々な非リア充の充実の形が提供され、それが共感され、実際に共有されていったように思います。
しかし、それだけではないようにも思うのです。
例えば、冒頭のドラマでは、登場人物それぞれの強烈なこだわり自体が興味をひくことはもちろんですが、彼らは一様に、どうしようもなく好きなもの、熱中できるものを見つけ、それを心から楽しんでいる。
このようなドラマが愛されるのは、実はこのあたりへの憧憬のようなものがあるからではないかと思うのです。
モノや情報が溢れる時代だからといって、熱中できるものが見つかるとは限りません。
それを見つけられるかどうかは、身の回りにあるモノや情報の量ではなく、実際にやってみること、行動することで決まるからです。
モノ・情報が溢れる時代だからこそ際立つ、すぐ目の前にあるけれど、なかなか手に入らない、どうしようもなく好きなもの、熱中できるものへの憧れ。
このあたりに、テレ東の大躍進の背景があるのではないかと思うのです。