
ようやく暖かくなってきたし、今日は早めにおひるを食べに行こうかな。
水曜日は不動産会社が休みで、電話もそんなにかかってこないし。
でもそんなことを言っていると……

☎プルルルルル
やっぱり。
はい、UNIBESTでございます。
……はい、はい……ええ。
かしこまりました、ではお待ちしておりますね。失礼します。

仕事だ。
おひるごはんはその後かな。


こんにちは、いきなりお時間もらっちゃってごめんなさいね。
いえいえ。
お母様のご相続の件で手紙が届いたとのことで……突然のことだと不安になりますよね。


そうなんです。
母は半年前に亡くなったのですが、実はお恥ずかしいことに姉妹4人の仲が悪くて……
話し合いもできなくて放置していたところ、一番下の妹から書類が届いたんです。
なるほど、ちょっと書類を拝見します。
これは……その妹さんが全ての財産を承継するという内容の遺産分割協議書ですね。


ええ。
「アタシは別に財産はいらないから」って言ってあるから、きっとこういう書類が来たんだと思います。
これにハンコを押せば、アタシは相続放棄したことになるんですよね?
相続放棄ですか……ちょっとややこしい話なんですよ。
その前にまず、どうして相続放棄をしたいのか聞いてもいいですか?


えっ……どうしてって……
アタシはお母さんの生命保険の受取人になっていたからお金はじゅうぶんに貰えるし……
お母さんが持っていた不動産は、残っているローンごと妹が相続するからアタシは関係ないし……
なるほど。
実は正式な相続放棄をするには、家庭裁判所での手続きが必要になるんですよ。
妹さんが債務も含めて全部相続するという内容の遺産分割協議書を作ったとしても、藤本さまは正式な相続放棄をしたことにはならないんです。


えっ!そうなの!?
財産をもらわないだけなのに、裁判所で手続きをする必要があるんですか!?
たしかに、預貯金などのプラスの財産を承継しないというだけなら、遺産分割協議書にハンコを押すだけで足ります。
しかし相続というのは包括承継といって、借金のようなマイナスの財産も相続財産に含まれてしまうんです。


はい、そこまではアタシも知っています。
でもマイナスの財産……残っているローンが相続財産に含まれるとしても、妹が返しますって銀行に言えばそれで良いんじゃないですか?
借金を誰が返すかを借り手側が勝手に決めることはできないので、銀行さんがそれで納得するかどうかですね。
納得しなかった場合、法定相続割合の範囲で藤本さまも返済義務を負うことになります。

その点、借金を承継するリスクを完全に無くせるのはやはり正式な相続放棄です。
これをすれば最初から相続人ではなかったことになるので、マイナスの財産を部分的に相続することすらありません。

もっとも注意点として、正式な相続放棄はプラスの財産も相続できなくなってしまうので、基本的には相続財産全体でマイナスの方が大きいときにするべきですね。
ちなみに、プラスとマイナスのどちらが大きいか分からない時には、限定承認という手段もありますが……


あらそう!
いわゆる世間一般的な「相続放棄」をするだけだと、借金を相続するリスクがあるってことよね。よく分かりました!
それじゃあアタシは、ちゃんと家庭裁判所で相続放棄の手続きをしようかしら!
……ここまで説明しておいて大変申し訳ないのですが、相続放棄と限定承認の手続きは「お母様が亡くなったこと」と「藤本さまが相続人であること」を知ったときから3ヶ月以内にしなければなりません。
お母様が亡くなられたのは半年前とのことで、おそらくこの熟慮期間が既に経過してしまっているかと……


そんな!じゃあ完全に手遅れってこと!?
こんなことになるなら、やっぱり放置なんかしないで、すぐに話し合うべきだったわ……
まぁまぁ。
実は藤本さまの場合、相続放棄をしなかったことによるメリットもありますよ。

藤本さまは生命保険金の受取人になっているとのことですが、実はこの生命保険金にも相続税がかかります。
そして相続人であれば「500万円×法定相続人の人数」の非課税枠が使える……要するに税金がかからないんですよ。
でも、「相続人であれば」ということは……?


もし相続放棄をしていたら「最初から相続人じゃなかったことになる」から……
この非課税枠が使えなくなってたってこと!?
あらやだ税金的にオトクってことじゃない!

でも、ちゃんと専門家の人に聞いておいてよかったわ。
やっぱり遺産分割協議書にハンコを押す前に、妹に一度電話してみようかしら。
そうしたらまたご連絡します!
お待ちしておりますね。
本日はお越しいただき、ありがとうございました。


「幸喜寿し」さんの「あなご丼」
少し出遅れただけでこの行列……さすがの人気だけど、無事にありつけてよかったよ。

[受験生メモ]
・生命保険金(保険料の全部又は一部を被相続人が負担していたもの)……みなし相続財産:民法上の相続財産ではないが、被相続人の死亡をきっかけとして受け取ることになるため、相続税の対象となる財産という税法上の概念。生命保険金のほかに、死亡退職金などがこれにあたる。これらは受取人固有の財産であって民法上の相続財産ではないため、相続放棄をしていても受け取ることができる。ただし非課税枠が使えなくなることについては、本稿で触れたとおり。
・「銀行さんがそれで納得するかどうか」←相続分の指定がされた場合であっても、債権者は各共同相続人に対して法定相続分に応じてその権利を行使することができる。ただし、債権者がその指定された相続分に応じた債務の承継を承認したときは、この限りでない(民法902条2の2)。
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